宮大工が創る和風住宅
北一タカハシ建設の家づくりは、宮大工の腕を活かした和風住宅、断熱気密性能を高めた省エネ住宅の他にもさまざまな特長があります。
古民家や古材の活用、室内空気環境を改善できる建材などもご提案しています。
宮大工の魅力
北一タカハシ建設は道内随一の宮大工に特化した建築集団です。伝統建築の技法と、石州瓦やケヤキ・ヒノキの大黒柱、道南杉を使った造作などを活かした風格ある神社仏閣を建てる力があり、その技術と経験を和風住宅でも発揮しています。
当社社長の髙橋は、旭川の建設会社勤務時代に、現場監督として道北・和寒町の「片栗庵」を建てさせていただきました。この経験がのちに北一タカハシ建設創業後の、宮大工の技術を活かした数寄屋建築による和風住宅づくりにつながっています。
和風建築の技術と省エネ施工の技術、現代建築の機能性を組み合わせれば住宅業界唯一ともいえる感動的な住まいづくりができると考え、以来北一タカハシ建設は様々な住宅を建築させていただいております。
経験豊富な棟梁が丁寧に若手を教え、実践の機会を与え、しかも会社全体で建築大工技能士や瓦技能士、古民家鑑定士、2級施工管理技士、木造建築士などの資格取得を積極的に支援しています。宮大工全員が正社員なので、安心して働き家族を養える職場環境です。
また、基礎・鉄筋・仮設・断熱施工など、木工事以外の実践も任せることで、多様なスキルを身につけさせ、それらの工事での質の高い自社施工を可能にしています。
格天井(ごうてんじょう)や玄関の坪庭、土間のたたき・畳・板間など足の裏から感じる和の感触、木の風合いや造作建具の提案などは他社にはない魅力だと思います。
どれだけそういった要素を取り入れるかはお客様の希望次第ですし、シンプルモダン系の住宅にちょっと和の意匠を取り入れるのも魅力的な手法です。
和風住宅はビニール系の内装材などを基本的には使いませんので、室内が非常に落ち着き、静電気が無くクロスが汚れない、目が疲れない、化学物質のいやなにおいもしない、癒される環境になります。
こういう良さは、むしろ、住まわれてから実感されることかもしれません。
建具や造作なども宮大工の腕の見せ所です。
和風住宅は街の景観を美しくしていく、オーナーと北一タカハシ建設が一緒に取り組めたらと願っています。
シンプルモダン系の住宅、小樽や函館などで見かける明治・大正時代の洋館風の住宅、現代的な和風住宅も手がけます。
瓦へのこだわり
匠の伝統技術で北海道の瓦屋根工事を担う
北海道の風土、移り変わる四季、そこには自然の厳しさがあります。北国だからこそ寒さに耐え、断熱に優れた住まいをつくりあげることは必要です。瓦屋根は美観を整えるだけではなく、真に丈夫で経済的な屋根を実現できます。
北一タカハシ建設では、北海道では極めて珍しい瓦職人により、宮大工としての伝統の瓦屋根工事技術で、強さと機能を取り揃えた、風格ある日本家屋をお届けします。
北海道で一番の瓦葺きの実績を誇る
北一タカハシ建設は、北海道で最も瓦葺きの実績のある会社です。平成27年度の北海道への瓦販売実績のうち、石州瓦は35,000枚ありました。その中の7割弱にあたる23,400枚が当社分です。
北一タカハシ建設には、瓦屋根工事部門があり、住宅の屋根工事全般に対応できます。雨・風・寒さ・雪に強い石州瓦の、石州瓦北海道代理店でもあります。
瓦へのこだわり
自然素材の粘土を原料にした瓦は、窯で焼成して製品になります。日本古来からの屋根材で1,400年の実績を持った屋根材です。
古くからある屋根材ですが、進化を続けている屋根材でもあり、防水性、意匠性、耐久性といった基本性能だけでなく、地震や台風に強い固定構造や、太陽光を反射する遮熱性能など新たな魅力が加わり、古くて新しい屋根材として瓦は見直されています。
北一タカハシ建設では、島根県の石見地方で生産されている『石州瓦』を採用しています。
その特徴は焼成温度が高いため(約1200℃)強度に優れており、寒さや凍害に強く、雨や台風、地震に強いなど日本海側の豪雪地帯や北海道などの寒冷地方に適しています。
石州瓦は様々な環境に適応することで進化を続け、現在まで400余年造り続けられています。
瓦屋根がもたらすメリット
1. 耐久性
瓦は高温で焼き固めて作る焼き物ですので、高温に対しての耐久性があります。そして「焼き固める」という点で、古くから使われている土器や、壺、お皿など現存しているものがあります。それが、ある程度の形を保ったまま出土されており、経年に対しての耐久性があることを実証しています。
瓦素材特有の耐久性で塩害や凍害など日本の風土、移り変わる四季自然の厳しさから家を守ってくれます。
2. 断熱性
瓦が他の屋根材と大きく違う点は、屋根下地と瓦の間に空気層があることです。瓦屋根の工法の場合は、屋根下地と瓦の間に空気層があり、熱が屋根下地に伝わりにくい構造になっています。
北海道の厳しい冬における耐寒性能でも優れた品質を確保しており、雪国でも広く採用されています。
-20℃の凍結融解試験や曲げ破壊強度試験などでその強さは実証されています。
3. 遮音性
意外と気になるのが雨音です。屋根材の違いにより、落ちてくる雨音が違います。例えば、トタン屋根の場合は叩きつけるような音になります。
瓦は素材が粘土(土)なので、音の吸収性が非常に高いのです。現代の暮らしの中で避けて通れない騒音問題。瓦は静かでやさしい時間が流れる住まいの空間を実現します。
宮大工紹介
北一タカハシ建設の自慢の宮大工をご紹介します。
塚本氏は1960年生まれで宮大工暦40年以上の大ベテラン。技量と経験は北一タカハシ建設随一だが、昔ながらの厳しい棟梁タイプではなく、若手大工にも優しく指導し育てている。現場のムードも明るくする気配りタイプで同い年の髙橋一彦社長との信頼関係も強い。
叔父が勤めていた登別の工務店に入ったのが宮大工になったきっかけです。その工務店の経営者が高齢のため廃業し、その後、一時期は住宅の大工などもしましたが、10年前に髙橋社長と出会い、そこからのご縁です。社長は仕事には厳しいけれど、現場の事情もしっかり聞いてくれるので仕事がしやすいですね。
北一タカハシ建設は若くてやる気、学ぶ意欲のある大工がいて活気があるし、お寺の仕事もたくさんある。大工を日雇い、使い捨てのように扱う建設会社もある中で、通年雇用で正社員化するなど、宮大工を大切に扱ってくれる点に魅力を感じます。
まもなく60歳ですし、腕を磨くという意味では伸びしろは少ないかもしれませんが、ケガに気を付け、若手の成長も見守りながら、良い建物を納めていきたいと思っています。
宮西氏は1984年生まれの30代だが北一タカハシ建設暦は2018年現在で15年と最古参。技術、仕事への熱意、品質や納期への責任感、そして後輩への指導力が高く、多くの現場で棟梁を任されている。
子どもの頃、私は身体を使う消防署員、あるいは警察官になりたいと思っていました。でも高校3年生の進路を考えていた時に、たまたま見たテレビ番組『ザ!鉄腕!DASH!!』で役場を建てる企画があって、それを見て大工になりたいと思ったのです。
札幌の職業訓練校で2年間建築の基礎を習いました。大工の求人は型枠大工やツーバイフォーのフレーマーのような仕事が多かったのですが、大工仕事としては在来工法の方がやりがいがありそうだと思い、北一タカハシ建設に大工見習いとして入社し、もう15年(2018年現在)になります。
先輩のやり方を教わりながら仕事を覚え、ある程度仕事をこなせるようになるまでに5年近くはかかりました。北一タカハシ建設は冬場も含めて宮大工を通年雇用している、仕事が途切れずにあることが職場環境的には魅力です。
若い大工も入ってくるし、塚本さんなど腕の良い先輩もいるので、ベテラン・中堅・若手が力を合わせて頑張っています。仕事の精度や出来、納期はもちろん大事ですが、現場の安全、整理整頓、参拝される方々への挨拶などもしっかりしていきたいと思っています。
釜石氏は1985年生まれ。入社3年目で住宅現場の棟梁を任されるなど、技術習得が早く、現場管理能力にも優れている。施主からはこの若さで棟梁もしていることに驚かれることも。
子どもの頃からもの作りが大好きで、幼稚園の頃から「大工さんになりたい」と言っていたそうです。高校卒業後、迷いなく職業訓練校に入り木造住宅の大工の道を踏み出しました。インターンさせていただいた住宅会社はツーバイフォー工法の住宅会社だったのですが、大工としての面白さは在来工法だと思い、先生の紹介で北一タカハシ建設に入社しました。宮大工の先輩方から仕事を教わりながらここまで来ました。先輩も仕事を丁寧に教えてくれるし、入社3年目には住宅建設の棟梁も任されるなど、いつも新たな挑戦をさせてもらえるので、勉強にはなるしやりがいも十分ですが、緊張の日々です。
成田氏は七飯町出身の1986年生まれで、2018年現在で北一タカハシ建設暦、宮大工暦ともに12年の中堅。技術習得、資格取得にも熱心な3児のよきパパでもある。
自分では覚えていないのですが、子どもの頃から「大工になりたい」と親に言っていたそうです。でも高校卒業前の進路選択では迷いました。結局、仕事に困らないようにと溶接や危険物などの資格をたくさん取得できる函館の専門学校に通いました。そこで大工の仕事、そしてより難しそうで面白そうな宮大工という仕事に興味を持って宮大工を目指しました。
実際に宮大工になって思うのですが、この仕事、面白いです。お寺の現場だけでなく住宅の現場もありますので、本当に覚えることは無限にある、という感じです。でも全てを習得できていなくても、現場の先輩たちと連携しながら、自分のできることで貢献できるのがこの仕事の面白さの一つだと思います。
今同じ現場に入っている宮西棟梁の仕事ぶりや人への接し方、仕事の段取りや材料の発注などの対応力などは、見習っていきたいと思っていますし、社長も社員思いだし、職場に恵まれたと感じています。
村上氏は1989年生まれの江別出身。スキルアップや資格取得にも熱心な若手のホープです。
江別で祖父がお寺の仕事をしていて、私は子どもの頃、江別のお寺でいつも走り回って遊んでいました。お寺は大きくて凄いなという思いもありました。小学校入学間もない頃に、親に「宮大工」という仕事があると教わって以来、一度も宮大工という仕事以外の選択肢は考えたことがありませんでした。
高校3年生の時に、宮大工になりたくて本州の会社の面接を受けました。北海道に宮大工の会社があるとは思っていなかったのです。その会社で内定もいただいたのですが、その後ネットで検索して、北一タカハシ建設という宮大工の会社が北海道にもあると知って、高3の2月に髙橋社長に相談したところ、訓練校を出たら採用するといわれました。その時期にはもう学校の願書受付は終わっていた時期なので、1年間会社勤めをして、翌年、札幌高等技術専門学院に入学し、2年間建築の基礎を学び、21歳で北一タカハシ建設に晴れて入社を果たしました。
宮大工は私にとって憧れの仕事です。入社当初は体力的に大変でしたが、徐々に力の入れどころのようなものが理解できるようになって、身体的な疲れは減りました。仕事を覚えることの方が大変ですが、先輩たちが、質問を快く聞いてくれるので、不安なく仕事を教わることができます。現場の先輩たちだけでなく髙橋社長も、現場の状況などを聞いてくれたり、施工のアイデアなどを教えてもらったりします。そういう意味で上司と先輩に恵まれた職場だと感じます。
先輩たちに追いつきたい気持ちで日々働いていますが、なかなか追いつけないのも事実。そこで私は宮大工の仕事だけでなく、基礎工事全般の技術も高めたいと考えています。現在、北一タカハシ建設の基礎工事に関しては多くを担当させてもらっています。基礎は建物の根幹を支える部分ですから責任重大。そこをしっかり担えれば、自分が大事な人材にもなれるかなと思っています。北一タカハシ建設は、社員大工の資格取得や研修も積極的に支援してくれます。しっかり働き、学び、自分を鍛えていきたい。来年も後輩が入っているので、先輩としてもしっかりしたいと思っています。
和野氏は1993年生まれの若手宮大工。社寺建築の名門建築会社で6年間、宮大工の仕事を学び、2016年に故郷札幌に戻って北一タカハシに入社した。技能向上と資格取得にも熱心に取り組んでいる。
私は幼い頃に、母を亡くしましたが、母のお父さんが大工だったためか、母は生前、私に大工になってほしいと言っていました。兄が僧侶だったこともあって、お寺を建てる宮大工という仕事に興味を持ちました。
中学生の時、鵤工舎の小川三夫棟梁の講演会を聞き、講演後に関係者に「宮大工になりたい」とお願いしたら連絡先を教えていただきました。高校2年の夏休みに訪問し直接弟子入りを志願。その年の弟子入り希望者は100人くらいいましたが何度か見学や面接などでお邪魔し、結局、私を含む3人が選ばれ、私は高校卒業後に弟子入りさせてもらいました。
1年目は掃除とご飯づくりと草むしりと山の掃除。2年目は宮大工仕事の手伝い。夜、残業して頑張っているときには、先輩たちが仕事の仕方を教えてくれて、3年目から少しずつ大工仕事をさせてもらえるようになりました。6年ほど修行させていただき、2016年に地元札幌の北一タカハシ建設にお世話になっています。現場で仕事を学び、資格も、2018年に二級技能士を取得、次は一級、そして来年は別の資格もチャレンジしたいと思っています。来年は後輩も入ってくるので、先輩としてしっかり引っ張っていけるように、私自身の腕を磨きたいと思っています。
2000年生まれ。札幌出身で工業高校の部活で建築の基礎を学び大工に興味を持つ。大工以上に宮大工はハードルが高いと思いつつ挑戦を決意。
2000年生まれ。北海道函館高等技術専門学院卒業。函館出身で大工の専門技術を学び、宮大工に憧れを抱き入社
1993年生まれ。日本工業大学建築学科、京都美術工芸大学伝統建築学科、水野建設(京都)を経て北一タカハシ建設に入社。